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坂本達さんインタビュープロカツ

  1. 3年間書き続けた世界一周の企画書

坂本達さんプロフィール

3年間書き続けた世界一周の企画書

田北:今日はよろしくお願いします!

坂本:はい、よろしくお願いします。

田北:まず、どういうキッカケで坂本さんは自転車での世界一周を思い立ったのですか?

坂本:キッカケですね、えっと……世界一周自体は僕の小学校の時からの夢でした。5年生の時に、父親の仕事の都合で転校したんですけど、その新しい学校で上手く馴染めなくて学校に行きたくなくなった時に、僕は小学生なりに、自分の人生は多分暗いままだと思っていたんですよ。

そんな時期に、父親が世界地図を見ながら色んな世界の話をしてくれて、「学校はつまらないかもしれないけど、それが一生続くわけじゃない。世界には色んな人達がいて色んな考え方があるから、お前の事を受け入れてくれる人が絶対どこかにいる」って、それが純粋に夢の始まりになったんです。

田北:それまでは海外に行かれた事とかはあったんですか?

坂本:小学校2年生の時に、父の仕事の関係で、家族でフランスに暮らして、5年生の終わりに帰って来ました。

田北:自転車に興味を持ったのはいつ頃から何ですか?

坂本:小学校3年生くらいです。当時住んでいたフランスに、ツール・ド・フランスという世界最大の自転車のレースがあって、それを直接見た時に凄く惹かれて、それがキッカケになりました。

田北:世界一周を思いついた時に、会社に企画書を提出して実現されたという事ですが、そのプロセスを聞かせて頂けますか?

坂本:会社に“夢を応援しよう”という、当初は「やる気プロジェクト」という、社員全員が提案できる制度があったんです。今は「自己申告アンケート」という制度なんですが。

それは仕事に関しての希望とか、自分の仕事のやり方とか、結婚の予定とか、そういうのを含めて申告するものがあったんですけど、それに僕は仕事とは関係ない夢を書き始めたんです。「自転車で世界一周したい」って、それを3年間ずっと書き続けたんです。

勿論、企業ですからそんな事を認めてくれる訳がないし、返事すら無かったんですけど、でも、それを見てくれている人がいて。4年目になって、もうその夢を会社では出来ないから、個人的にやろうと思って、会社を辞めるって社長にレポートで伝えました。その時点で、僕は会社に内緒で、世界一周のためのスポンサーをとり付けていて、それが十数社すでに決まっていたんです。

家族みたいな会社なので、僕が会社を辞めて世界一周に行くっていったら社長が心配すると思って、社長に最後のレポートを出す時に、自己申告アンケートの最後にスポンサーのリストを付けたんです。「申し訳ありません、個人的な夢にチャレンジします。お役にたてないままで本当にすみません……」という手紙と共に。

そのリストを社長が見て、実は社長は僕の3年間のレポートをずっと見ていたそうで、でもずっと冗談だと思っていたみたいです。まぁ普通は冗談だと思うんですけど(笑)。そのスポンサーのリストを見て「本気だったのか!」ってビックリされて、「そこまで本気だったら応援する、辞めなくていいから行って来い」って言ってくれたんです。

田北:世界一周に向けてどんな準備をしたんですか?

坂本:いきなり「明日から4年間休んでいいよ」なんて言ってくれる会社は無いと思います。会社で与えられた以上の事をやろうとしたり、世界一周に向けて自転車のトレーニングをしてレースも出ていましたし、貯金をして、英語とフランス語を出来るようにして、思いつく準備を全部やっていたんです。毎日仕事を終えて独身寮に帰って、夜11時から朝の4~5時くらいまでスポンサーへの手紙や細かな準備をして、仮眠をしてから会社に行くという生活を半年位していました。

田北:3年間出し続けた企画書の内容は、最初に出したモノから内容は変わっていったんですか?

坂本:なかなかインタビュー上手いですね(笑)。そうですね、最初はやっぱり控え目に、1年間でヨーロッパを走るとか、2年間で南米・北米を縦断とか書いていたんです。あとは、会社の役に立つような、例えばマーケティングをしてくるとか、海外の子どもにミキハウスの子供服を着せて写真を撮って来るとか、企画めいた事を書いていたんです。

田北:最初から何とかなるという自信はありましたか?

坂本:何とかならなくても、続けていく事っていつか形になるし、行動する事で夢って持ち続けられるって思っています。だから、どういう形になるかは分からなかったけど、いつかは実現すると思っていたので、会社に認められなくても、途中から本気になって夢を持ち続けてやろうと思っていました。行動しているとだんだん気分が盛り上がってくるんですよ(笑)

田北:最初にこの企画書を出した時に、周囲のご家族とかはどんな反応でしたか?

坂本:最初に企画書を出した時は何も言わなかったですね、僕が辞表めいた最後の企画書を出す時に言ったと思います。最初の一歩というか、辞めて世界に行くと決めたっていうのが一番勇気がいる事でした。皆に色々言われるのも分かっていましたし、家族にも最初は反対されましたから。

田北:例えば自転車メーカーなどのスポンサーの獲得は、全て自分の経験をもとに営業をしていったんですか?

坂本:そうですね、世界一周するのに大体900万円位の予算だったんですけど、僕は大学時代に200万円以上の借金があったんです、親戚に(笑)。それを全部返済して、それで26歳で世界一周するか仕事を続けるかを決めようと思っていました。でも、それまでに900万円が貯まらなかったんです、借金の返済があったので。だからスポンサーを獲得しなければいけなくて。そのノウハウは、自転車でシルクロードを横断した夫婦がいるんですけど、その人達の本を読んで「こういうやり方があるんだ」って、具体的に学びました。

あとの半分は会社での仕事の経験です。仕事はダメ出しされる事が多かったのですが、そこで、ダメなのは企画に魅力が無いとか、プレゼンが悪いとか、タイミングが悪いとか、こっちに原因があるというのを学んでいたので、思い通りにいかなくてもその企業がケチだとか、担当者が意地悪だとか、そういう見方はしませんでした。仕事の経験は企業を説得する上で凄く役立ちました、自分が役に立ってナンボの世界ですので。

田北:最初に企画書を出したのは、社会人になって何年目だったんですか?

坂本:入社して3~4カ月目くらいですね。

田北:え!まだ新社会人ですよね。

坂本:新社会人の夏くらいですね。

田北:では、世界一周の夢がありつつ3~4カ月仕事をしていて……

坂本:いや、実はちょっと違うんです。最初は商品部、つまり物流部門に入ったんです。ある意味単調な仕事に思われがちですが、自分なりに工夫すると面白いんですよね、自分次第で結果が出るので。そこでの経験で、どんな仕事も単純な作業でも、やり方によって結果は変わっていくって思いました。

1年目に和歌山の工場で商品の振り分けの仕事を任されたのですが、そこで、たくさんのパートのお母さん方が応援してくれて、みんなの力を合わせて、凄くいい結果がでたんです。僕が昼休みにみんなにお茶を入れたりすると、すごく喜んでくれる。仕事以外の話もいろいろしているうちに、だんだん協力的になってくれて。どんな仕事でも、色んな人の力を合わせたら創造的な仕事が出来るし、つまらない仕事なんて一つも無いって思ったんです。

じゃあ自分の夢って何だろう?って考えたら、“世界一周”が心の底の方にあって。やっている事は、仕事と世界一周は違いますけど、色んな人に理解して貰って、協力し合ったら結果が出たので、「もしかしたら僕の夢も出来るんじゃないか?」と思ったんです。和歌山の倉庫では夜も一人で翌日の準備をしていたので、そういう事を悶々と考えていて。だから仕事が嫌とかじゃなくて、凄く前向きな「夢ってこうやって叶っていくんだ」っていう方程式みたいなものを、1年目に教えて貰ったんだと思います。

田北:当時、ミキハウス社内での目標はあったんですか?

坂本:もちろんです。海外事業部で働き、ヨーロッパ支店の支店長をやるのがミキハウスでの夢でした。その考えが8~9割だったんですけど、残りの1~2割に“世界一周の夢“があったので、それを企画書に書いていたという感じです。

田北:今日お会いするまでは、“個人の夢を叶えた人”というイメージがあったのですが、社内で商品物流などをやっていたというのは意外でした。

坂本:物流業務はお客様に直結する、大切な、そして夢のある仕事です。やっぱり、人に理解して貰おうと思ったら、目の前の仕事をどれだけ出来るかというのが、信頼に繋がります。とにかく、凄く面白かったんです、仕事が。面白いと絶対結果が出るので、みんなが評価してくれるし。そういう所で、だんだん社内的な理解があったのかもしれません。

「仕事もロクにしないのに、世界一周行こうって言うのか」って言われるか、「行きたいんだよな!」って言って貰えるかは、日々の仕事の仕方とか、きちんと挨拶しているかとか、毎日の小さい積み重ねなんだと思います。

田北:田北:会社から“世界一周”のGOサインが出た時には、すでに旅のルートやプランは決まっていたんですか?

坂本:はい、決まっていましたね。

田北:それはスポンサーからの意向などは入っていなかったんですか?

坂本:全部自分の行きたい所でルートを作りました。

田北:いざ世界一周の旅に出る時はどんな気持ちでしたか?

坂本:まず、凄いチャンスだなって思ったんです。金銭的なバックアップがあったし、家族も最終的には応援してくれたし。でも、不安が9割で、期待が1割(笑)。上手くやっていけるかどうか……、日本にも仕事があったし、家族もいたし。日本は環境が全部整っているじゃないですか、保険だとか、衛生面だとか、病院だってちゃんとあるし、それが全部ないわけですから。

ミキハウスって言えば、日本ではある程度みんな知っていますけど、海外では誰も知りませんから、自分の家だって無いし。そういう全部が保障された毎日から、何にも無くなるっていう、ぬくぬくの日本のから、何も無くなる世界に行くって言う不安ですね。でも、世界一周自体は出来る、叶うと思っていました。

田北:その根拠みたいなものはあったんですか?

坂本:あまり無いですね(笑)凄く長い間イメージしていたので。イメージした事って実現すると思っていたので、それ自体に気負いは無くて。ゴールの瞬間をイメージする感じでしたでしょうか。

田北:有給を使っての世界一周ですが、その間のお給料は……

坂本:普通にいただいていました。なんと旅の間に昇給もしましたし、ボーナスも出た事があります。仕事をしていないのに……